基本的に魏の制度に

16 10月
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魏晋南北朝時代の後宮制度2(魏晋)
魏晋時代の後宮は、後漢の後宮制度を発展させたものでした。地方政権である蜀漢・呉にも後宮制度はありましたが、基本的には魏の制度とほぼ似たようなものでした。
曹操(155-220)が建安21年(216年)に魏王となったとき、正室の卞氏以下の妻妾たちを夫人・昭儀・ショウヨ・容華・美人の5等級に分けました。その後、魏の文帝曹丕・明帝曹叡によって後宮が拡充され、最終的には皇后以下の妃嬪は13等級になりました。
1.夫人(皇后に次ぐ高位の妃)
2.貴嬪
3.淑妃(位は相国に、爵位は諸侯王に相当)
4.淑媛(位は御史大夫に爵位は、爵位は県公に相当)*御史大夫:副丞相格の官職
5.昭儀(爵位は県侯)
6.昭華(爵位は郷侯)
7.修容(爵位は亭侯)*列侯は県公・県侯・郷侯・亭侯に細分化されていた。
8.修儀(爵位は関内侯に相当)
9.ショウヨ(中二千石に相当)*九卿と同格で、毎月180斛が支給された。
10.容華(真二千石に相当)*州牧などと同格で、毎月150斛を支給された。
11.美人(比二千石に相当)*郡都尉や丞相司直・光禄大夫などと同格。毎月100斛を支給された。
12.良人(千石に相当)
13.■人
晋も基本的に魏の制度に倣っていました。晋の武帝司馬炎(236-290)は貴嬪・夫人・貴人を三夫人と定めて三公と同格とし、淑妃・淑媛・淑儀・修華・修容・修儀・ショウヨ・容華・充華を九嬪として九卿と同格としました。それ以下の妃嬪としては美人・才人・中才人があり、人数制限はなかったと思われます。
司馬炎に皇后楊艶(楊元后)・皇后楊シ(楊悼后)以下、大勢の妃嬪がいました。2代目の恵帝司馬衷(長男)は楊元后の子です。八王の乱に参加した諸王のうち楚王司馬イ(五男)と長沙王司馬乂(六男)は審美人の子で、成都王司馬穎(十六男)は程才人の子でした。更に3代目の懐帝司馬熾(二十五男)は王才人の子で、4代目愍帝司馬ギョウの父となった呉王司馬晏は李夫人の子でした。
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